脇の下のビームで
あたしは、脇の下からビームが出せる。
特別、変わったことじゃないと、あたしは思っている。あたしはオタクである。腐女子である。マンガやアニメ、ゲームにライトノベルと、さまざまなジャンルの作品に触れてきた。その中には、脇の下からビームを出せる女子高生なんて、ざらにいる。今のところ、そんな女子高生が出てきた話なんて読んだことはないが、きっといる。いるはずだ。いて欲しい。
あたしは、変じゃない。
でも、そう思い込もうとするのには、限界がある。
繁華街の暗く湿った裏路地で、あたしは男を見下ろしている。
気を失った男は、顔面に酷い火傷の跡を作り、金髪をくすぶらせながら倒れている。
あたしが、やったのだ。
あたしが、この柄の悪そうな金髪頭の不良を、退治したのだ。
脇の下から出るビームで。
この男は、悪人だ。気が弱そうで華奢で貧弱な女子高生であるあたしをみつけると、ニヤニヤ笑いながら肩を抱き、強引に裏路地に連れ込んだ。ひと気がないのを確認すると、ぷるぷる震えるあたしの頬を撫で、舌なめずりをして、胸を鷲掴みにした。だから、こらしめた。
脇の下のビームで。
いいことをした、と思う。悪人をやっつけたのだ、と思う。
だけど、自己嫌悪。
ここまでやることはなかったんじゃないか、と思う。顔面を火傷したこの男の未来を思うと、罪悪感が沸く。眼球は焼け爛れており、鼻梁もなくなっている。親が見ても、すぐには誰だかわからないだろう。
脇の下のビームは、融通がきかない。あたしの感情が、モロに反映される。嫌悪感が、威力に変換され、セーラー服の脇を破り、射出される。 まだ未熟なのだ。
まあいいや。ビームでやられることなんて、よくあることだ。
あたしは、その場から逃げるように、走り去る。
裏路地から出ると、あたしは素知らぬ顔をして、繁華街の通りを歩く。午後の繁華街は、ひと通りが多い。雑踏にまぎれ、あたしは駅へ向かう。あたしは変じゃない。あたしは悪くない。ビームなんてありふれている。そう、頭の中で繰り返しながら。
もうじき、駅前に出る。電車に乗って、二十分。そこから自転車で十分走れば、家に着く。それまでの間、脇をしっかり閉め、穴が開いていることを誰にも悟られないようにしなくちゃいけない。セーラー服の脇に穴を開けた女子高生なんて、恥ずかしすぎる。 あたしは、ひと一倍、恥ずかしがり屋さんなのだ。ついでに、ひと見知りも激しい。
「君。待ちたまえ」
突然、ぐいっと、肩を掴まれた。
あたしはびっくりして、脇の下に熱い衝動が訪れるのを覚えた。 ぐっと我慢して、振り返る。
若い男が立っていた。
背が高く、がっちりした体系の男だ。黒い趣味のいいスーツを着ている。精悍そうな顔つきで、こけた頬にはまばらな髭が生えている。
彼は、眉根を寄せていた。瞳には、困惑の色が見て取れる。
「君が出てきた裏路地に、火傷をした男が転がっていた。あれは、君が?」
少し、ビームが出た。
両手を脇に突っ込んでいなかったら、地面を焼いていただろう。あたしのビームは、何故かあたし自身には効果がない。
「知りま、せん。……なんの、ことですか?」
あたしは、うつむいた。自分の声が震えているのがわかる。
「知らない、ってことはないだろう。君が出てきた路地だ。なにを見たんだい? 誰がいたんだい? 教えてくれないかな」
男は声を潜めると、顔を近づけてきた。鼻を突くコロンの匂いに、あたしは顔をしかめる。
「……お、大声出しますよ?」
一歩後ずさりながら、あたしは精一杯の声でそういった。 蚊の鳴くような声とは、きっとあたしみたいな声をいうのだろう。これでも、頑張った方なのだ。さっきの金髪の不良相手には、 悲鳴ひとつあげられなかった。
「いや、本当に見てないのかい? まいったな、やっと手がかりが掴めたと思ったのに。妖怪ビーム人間……いや、なんでもない。気にしないでくれ」
男は苦笑すると、スーツの胸から名刺を取り出して、あたしに差し出した。
あたしはゲップを押しとどめるみたいにぐっと我慢して、脇から手を離すと、名刺を受け取った。
名刺には、
『私立探偵 高麗川太郎』
と、印刷されていた。
「俺は、こういう者だ。怪しい者じゃない。驚かせて、済まなかったな」
「……探偵さん、ですか?」
「そうなんだ。この辺りで頻発している、ある事件について調べている。連続火傷事件、とでもいえばいいかな。君も聞いたことがあるんじゃないか? 顔に酷い火傷を負わされる事件。模倣犯のようなものかな。被害者は、柄の悪い若者が多いんだが」
「はぁ……」
「知らない、か。でも、なんか思い出したことがあったら、そこに書いてある電話番号に連絡してくれ。なんでもいいんだ。情報を集めている。報酬も出すよ。じゃ、よろしくね」
男はそういい残して、去っていった。
あたしは、男の背中をぼんやりと見送る。彼は、もう一度被害者を確認しようと思ったのか、さっきあたしが出てきた裏路地に、躊躇なく入っていった。
あたしは、ふーっと息を吐き出した。
そして、すぐにむっとした。
あたしは、妖怪なんかじゃない。妖怪ビーム人間だなんて、酷い。
あたしは腐女子なので、「はやく人間になりた~い」というフレーズが、当然のように頭の中に浮かんできた。あのジャズ調の主題歌が、頭の中で鳴り始める。
冗談じゃない。闇にまぎれて生きてなんかない。あたしは、妖怪でもミュータントでもホムンクルスでもないのだ。十代の突然変異忍者亀でもない。普通の女子高生だ。ちょっとだけ、脇の下からビームが出せるだけだ。
憤慨しながら、あたしは駅に向かう。あんな失礼な男、もう二度と会いたくない。名刺は、その場で破り捨てた。
大型スーパーや銀行などが立ち並ぶ、駅前のロータリーは、ざわついていた。
寄り集まったひとびとは、みな興奮気味で、なにかについて熱く語り合っているようだ。よく見れば、あたしと同じ学校の制服を着た学生も、ちらほら見える。
なにごとかと思って、あたしは耳をそばだてる。
そのとき、
「おい、あれを見ろ! 空だ!」
と、誰かが叫んだ。
みんな、見事なくらい一斉に、空を見上げた。
あたしも、空を見上げる。
蒼く澄んだ空に、ひとの姿があった。
そのひとは、空を飛んでいた。背の低い雑居ビルの間を、器用に飛び抜ける。
尻から、虹色に輝くビームを出しながら。
「おお! ビームマンだ!」
「キャー! ビームマンよ~!」
「さっき、銀行強盗を倒したんだぜ! オレは見てたぜ! 必殺の尻ビーム乱れ撃ちで、一網打尽だったぜ!」
「ビームマン! ビームマン!」
「すっげえ! ビームで飛んでるぜ!」
「写メ! 写メ撮らなくちゃ!」
「いつも思うんだが、彼は痔にはならんのかね?」
騒ぎの中、あたしだけが背を向ける。 あたしの顔は、まっかっかだ。
尻の穴からビームを出し、空を飛ぶ、正義のヒーロー。
彼は、あたしのパパだった。
ちなみにあたしのママは、乳首からビームを出せる。兄は、股間から。
そう。ビームを出せるなんて、普通のことなのだ。
我が家にとっては。
あたしはため息をつきながら、改札を通った。