悪魔の顔
「おら。起きろ。おめーの魂をもらいにきた」
ボクが目を開けると、そこに悪魔がいた。ベッドで寝ているボクの上にかぶさるように、悪魔がいたのだ。
暗い部屋。壁に掛けた時計は、丑三つ時を指す。
どうして寝ぼけ眼のボクが、彼をひと目見て悪魔だと判断したかというと、それはもう悪魔としかいいようのない黒く邪悪な痩躯だったからで、つまりごく一般的な悪魔の格好をしていたからだ。声も台詞もありきたりだし、ぴっちりした黒い全身タイツとか尖った耳なんかも古くさい、古典的な悪魔。今時分、もう少し個性を持たないと仕事がなくなっちゃうんじゃないかな、なんて、ひとごとながら心配してしまう。
「うるせー。余計なお世話だ」
さすが悪魔。ボクの心を読んだらしい。変態の悪魔のくせに。スケベめ。
「ふざけんな。悪魔が人間になんか手を出すわけねーだろ。インキュバスじゃあるめーし」
サキュバスといわないところがさすがだね。で、ボクになんの用。と、ボクは心の中で思う。
「心の中で思う。とかいっちゃってんじゃねーよ。横着すんな。ちゃんと口開いて喋れ」
キミの心を読む能力って凄いけど、読まれる方は楽だね。なにしろ、口とか声帯とか腹筋とか使わなくても会話ができるんだもの。あー楽。喋らないでいいって楽。キミは大変だね、口を開いて声帯使って腹筋まで使って喋らなくちゃいけないだなんて。お疲れ様。と、ボクはベッドに寝そべったままで思う。
「うるせーよ。キミとかいうんじゃねー」悪魔は、苛々ただしげに声を荒げた。「もー少しびびれよ。恐がれよ。泣けよ。わめけよ。叫べよ。悪魔が目の前にいんだぞ。助けてー、だろ。許してー、だろ。もしくは疑えよ。悪魔なんかいるわけないー、とか。これは夢だー、とか。なに達観しちゃってんだよ。つまんねー奴だなおめーは」
だって、泣いたってわめいたって叫んだって疑ったって、ボクの魂を取ってっちゃうんでしょ。意味ないよ。疲れるだけ。無駄無駄。
「効率ばっかもとめてんなよ」悪魔は、顔を歪めた。「おめー、中学生だろ。そんな歳からそんなんで、この先どーすんだよ。ろくな大人になんねーぞ。親が泣くぞ」
だって、死ぬんでしょ。これから。
「そーだけどよ」渋い顔をして、悪魔は顎を撫でた。「どーも調子狂っちゃうぜ」
可哀想な悪魔。同情しちゃう。
「おめーだろが」悪魔は怒鳴る。「なんかこう、辞世の句とかねーのか。最後にひとつだけ頼みがある、とかすがってこいよ」腕を広げた。
へー。頼み聞いてくれるの。悪魔のくせに。
「いや、聞かねー」悪魔は首を振った。
なにそれ。頭悪そうなこというね。あ、だから悪魔っていうのか。頭の悪い魔物。
「ちげーよ」悪魔は唾を飛ばした。「悪魔は悪魔だよ。頭が悪いんじゃねー。やることなすこと全部悪い、徹底的に悪い悪魔のことだよ、悪魔ってーのはよ」
やっぱ頭悪いよ。あと顔も。
「うるせえ。顔のことはいうな」さっと、悪魔は体を引いた。「ちくしょう。顔のことはいうな」
確かに、徹底的に顔が悪いね。実は、最初キミを見たとき、泣き叫ぶ寸前だったんだ。キミのそのデッサンの崩れた酷い顔で。
「嘘つけ」悪魔の声が小さくなった。「嘘だといってくれ」
心の中で嘘をつくなんて器用なこと、ボクにはできないよ。思ってることを勝手に聞いてるだけじゃない。だから、もうこれ以上ボクの心を覗いちゃ駄目だよ。
それにしても、ぶさいくな顔だなあ。チョーブサメンだ。信じられないのは、こいつの顔だよ。骨格からして間違ってるね。どうやったら、こんなに醜くなれるんだろう。努力や素質だけじゃ、あそこまで悪くなれないよ。なにあの目。まるで相撲取りの下痢だね。いや、下水道にあるドブネズミの巣みたい。道ばたに寝そべってたら、間違いなくゴミだと思うね。なにあの鼻。臭ってきそうなほどの醜男。その、牛乳を拭いたぞうきんみたいな顔を見せるだけで、全人類が逃走するよ。なにあの口。たぶん、悪魔の中でもダントツで悪い顔だな。古今東西、こいつほど顔の悪い悪魔はいないはずだよ。
「そこまでいうの」悪魔は、めそめそと泣き始めた。「どこまでいうの」
心を覗いちゃ駄目だっていったのに。ていうか、仕事しなよ。なに泣いてんの。酷い顔がぐちゃぐちゃじゃない。吐瀉物みたい。わかった。その強烈にぶさいくな顔で、ボクを殺す気なんでしょ。
「もうやめてよ」涙と鼻水を滝のように流しながら、悪魔はつぶやく。「顔のことはやめて」
早くボクを殺しなよ。顔を近づけてくれれば、ショック死するよ。急性心不全で死ぬよ。ああ、世の中に多々起きてる急性心不全って、全部キミが起こしてたんだね。その強烈に酷い顔で。
そう思いながら、ボクはむくりと起きあがる。悪魔は、ばばっと飛び退った。
ボクは、悪魔の顔をじっとみた。
ボクは、白目を剥いて、ぱんたんと倒れた。
「わあ。死んだ。オレの顔を見て死んだ」悪魔は泣き叫ぶ。「顔で殺すなんて、そんなつもりなかったのに。魂を掴み損ねた」ばたばたと、暴れる。「どうしよう。どうしよう」
悪魔はしばらく部屋の中をうろうろしていたが、肩を落として大きなため息をつくと、ふらふらと窓から外へ飛んで行ってしまった。
カーテンが、揺れた。冷たい風が、すうっと流れてきた。
ボクは、ぱかっと目を開けると、枕元に置いてあった携帯電話を手に取る。あの悪魔は、間違いなく麻美だ。コール音が鳴る。十三回待たされて、やっと相手が出た。
『……はい』消え入るような、小さな声。
「麻美。ボクだよ。わかってるか」ボクは、眉間に皺を寄せる。「今、悪魔を追い返した。ったく、いいかげんにしてくれないかな。今日のはバカで助かったけど、毎回巧くいくわけじゃないんだかんね」
『うっさいボケ。死ね。浮気者』可愛らしいか細い声が、そういった。『内臓ぶちまけて、死ねガチャン』
電話が切れると同時に、窓に黒い影が現れた。
「オレはアクマだ。貴様の魂をもらいにきた」
やたらシャープなシルエットの悪魔が、そういった。こいつは、おそらく保奈美の召還した奴だろう。さっきみたいな、口車じゃ相手できない。ボクは身構えると、指にはめたリングを光らせる。瞬時に、ピンク色に光るビームサーベルが、ボクの手に収まる。
「……貴様、滅魔師か」悪魔が、顔色を曇らせる。
「ただの女好きだよ。好きになる娘が、たまたまみんな召還師だった、ってだけ」
ボクは、問答無用で斬り伏せた。