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悪魔 アーカイブ

2007年05月15日

悪魔の顔

「おら。起きろ。おめーの魂をもらいにきた」
 ボクが目を開けると、そこに悪魔がいた。ベッドで寝ているボクの上にかぶさるように、悪魔がいたのだ。
 暗い部屋。壁に掛けた時計は、丑三つ時を指す。
 どうして寝ぼけ眼のボクが、彼をひと目見て悪魔だと判断したかというと、それはもう悪魔としかいいようのない黒く邪悪な痩躯だったからで、つまりごく一般的な悪魔の格好をしていたからだ。声も台詞もありきたりだし、ぴっちりした黒い全身タイツとか尖った耳なんかも古くさい、古典的な悪魔。今時分、もう少し個性を持たないと仕事がなくなっちゃうんじゃないかな、なんて、ひとごとながら心配してしまう。
「うるせー。余計なお世話だ」
 さすが悪魔。ボクの心を読んだらしい。変態の悪魔のくせに。スケベめ。
「ふざけんな。悪魔が人間になんか手を出すわけねーだろ。インキュバスじゃあるめーし」
 サキュバスといわないところがさすがだね。で、ボクになんの用。と、ボクは心の中で思う。
「心の中で思う。とかいっちゃってんじゃねーよ。横着すんな。ちゃんと口開いて喋れ」
 キミの心を読む能力って凄いけど、読まれる方は楽だね。なにしろ、口とか声帯とか腹筋とか使わなくても会話ができるんだもの。あー楽。喋らないでいいって楽。キミは大変だね、口を開いて声帯使って腹筋まで使って喋らなくちゃいけないだなんて。お疲れ様。と、ボクはベッドに寝そべったままで思う。
「うるせーよ。キミとかいうんじゃねー」悪魔は、苛々ただしげに声を荒げた。「もー少しびびれよ。恐がれよ。泣けよ。わめけよ。叫べよ。悪魔が目の前にいんだぞ。助けてー、だろ。許してー、だろ。もしくは疑えよ。悪魔なんかいるわけないー、とか。これは夢だー、とか。なに達観しちゃってんだよ。つまんねー奴だなおめーは」
 だって、泣いたってわめいたって叫んだって疑ったって、ボクの魂を取ってっちゃうんでしょ。意味ないよ。疲れるだけ。無駄無駄。
「効率ばっかもとめてんなよ」悪魔は、顔を歪めた。「おめー、中学生だろ。そんな歳からそんなんで、この先どーすんだよ。ろくな大人になんねーぞ。親が泣くぞ」
 だって、死ぬんでしょ。これから。
「そーだけどよ」渋い顔をして、悪魔は顎を撫でた。「どーも調子狂っちゃうぜ」
 可哀想な悪魔。同情しちゃう。
「おめーだろが」悪魔は怒鳴る。「なんかこう、辞世の句とかねーのか。最後にひとつだけ頼みがある、とかすがってこいよ」腕を広げた。
 へー。頼み聞いてくれるの。悪魔のくせに。
「いや、聞かねー」悪魔は首を振った。
 なにそれ。頭悪そうなこというね。あ、だから悪魔っていうのか。頭の悪い魔物。
「ちげーよ」悪魔は唾を飛ばした。「悪魔は悪魔だよ。頭が悪いんじゃねー。やることなすこと全部悪い、徹底的に悪い悪魔のことだよ、悪魔ってーのはよ」
 やっぱ頭悪いよ。あと顔も。
「うるせえ。顔のことはいうな」さっと、悪魔は体を引いた。「ちくしょう。顔のことはいうな」
 確かに、徹底的に顔が悪いね。実は、最初キミを見たとき、泣き叫ぶ寸前だったんだ。キミのそのデッサンの崩れた酷い顔で。
「嘘つけ」悪魔の声が小さくなった。「嘘だといってくれ」
 心の中で嘘をつくなんて器用なこと、ボクにはできないよ。思ってることを勝手に聞いてるだけじゃない。だから、もうこれ以上ボクの心を覗いちゃ駄目だよ。
 それにしても、ぶさいくな顔だなあ。チョーブサメンだ。信じられないのは、こいつの顔だよ。骨格からして間違ってるね。どうやったら、こんなに醜くなれるんだろう。努力や素質だけじゃ、あそこまで悪くなれないよ。なにあの目。まるで相撲取りの下痢だね。いや、下水道にあるドブネズミの巣みたい。道ばたに寝そべってたら、間違いなくゴミだと思うね。なにあの鼻。臭ってきそうなほどの醜男。その、牛乳を拭いたぞうきんみたいな顔を見せるだけで、全人類が逃走するよ。なにあの口。たぶん、悪魔の中でもダントツで悪い顔だな。古今東西、こいつほど顔の悪い悪魔はいないはずだよ。
「そこまでいうの」悪魔は、めそめそと泣き始めた。「どこまでいうの」
 心を覗いちゃ駄目だっていったのに。ていうか、仕事しなよ。なに泣いてんの。酷い顔がぐちゃぐちゃじゃない。吐瀉物みたい。わかった。その強烈にぶさいくな顔で、ボクを殺す気なんでしょ。
「もうやめてよ」涙と鼻水を滝のように流しながら、悪魔はつぶやく。「顔のことはやめて」
 早くボクを殺しなよ。顔を近づけてくれれば、ショック死するよ。急性心不全で死ぬよ。ああ、世の中に多々起きてる急性心不全って、全部キミが起こしてたんだね。その強烈に酷い顔で。
 そう思いながら、ボクはむくりと起きあがる。悪魔は、ばばっと飛び退った。
 ボクは、悪魔の顔をじっとみた。
 ボクは、白目を剥いて、ぱんたんと倒れた。
「わあ。死んだ。オレの顔を見て死んだ」悪魔は泣き叫ぶ。「顔で殺すなんて、そんなつもりなかったのに。魂を掴み損ねた」ばたばたと、暴れる。「どうしよう。どうしよう」
 悪魔はしばらく部屋の中をうろうろしていたが、肩を落として大きなため息をつくと、ふらふらと窓から外へ飛んで行ってしまった。
 カーテンが、揺れた。冷たい風が、すうっと流れてきた。
 ボクは、ぱかっと目を開けると、枕元に置いてあった携帯電話を手に取る。あの悪魔は、間違いなく麻美だ。コール音が鳴る。十三回待たされて、やっと相手が出た。
『……はい』消え入るような、小さな声。
「麻美。ボクだよ。わかってるか」ボクは、眉間に皺を寄せる。「今、悪魔を追い返した。ったく、いいかげんにしてくれないかな。今日のはバカで助かったけど、毎回巧くいくわけじゃないんだかんね」
『うっさいボケ。死ね。浮気者』可愛らしいか細い声が、そういった。『内臓ぶちまけて、死ねガチャン』
 電話が切れると同時に、窓に黒い影が現れた。
「オレはアクマだ。貴様の魂をもらいにきた」
 やたらシャープなシルエットの悪魔が、そういった。こいつは、おそらく保奈美の召還した奴だろう。さっきみたいな、口車じゃ相手できない。ボクは身構えると、指にはめたリングを光らせる。瞬時に、ピンク色に光るビームサーベルが、ボクの手に収まる。
「……貴様、滅魔師か」悪魔が、顔色を曇らせる。
「ただの女好きだよ。好きになる娘が、たまたまみんな召還師だった、ってだけ」
 ボクは、問答無用で斬り伏せた。

2007年08月20日

俺の秋刀魚女

 俺は満足げに頷き、明日の勝利を確信すると、誰もいなくなった教室を出て鍵を閉め、心地よい疲労感を味わいながら下駄箱へ向かった。
 すると、俺の視界に、わけのわからないものが飛び込んできた。
 ぞっとして立ち止まる。
 ――秋刀魚、だ。
 下駄箱の陰から半身を覗かせてきょろきょろと辺りを窺っているのは、まごうことなく秋刀魚だった。しかも体長は一六〇センチくらいあり、差し込む夕陽を浴びて橙色にてかっている。
 いくら食欲の秋だからといって、いくら脂がのっていたって、こんな秋刀魚は食べたくない。
「な、なんだお前は!?」俺の声は、驚きと恐怖のためにかすれていた。
 秋刀魚は死んだ魚のような目を泳がせ、両手で顔の辺りを押さえてやっと俺の方を向くと、その場に跳び上がった。「きゃっ!? ま、まだ残ってたの?」
 喋りやがったよ、秋刀魚が。
 ていうか、秋刀魚の身体から出ている素足は、どう見ても人間のものだ。上履きの先っちょの色は、俺と同じ赤。つまり俺と同じく高校二年生。同級生に、秋刀魚人間なんかいただろうか。
「いや、お前、何者だ? こんなとこでなにしてんだ?」俺は渋い顔を見せる。
「あ、あなたには関係ないでしょ!」秋刀魚はぷいっと顔を逸らしたが、もじもじとした後、いいにくそうな声で「……逃げてきたの」といった。
 そういうことか。
 俺は、ピンときた。声を聞いてピンときた。これはチャンスだ。俺はほくそ笑み、この秋刀魚を煮てやろうか焼いてやろうかと舌なめずりをする。
 そのとき、暗い廊下の奥から、どたどたと足音が迫ってきた。白衣を着た女子が数人。
「小林! 邪魔しないで。彼女は、私のクラスのものよ」眼鏡をかけた女子が、偉そうな顔でそういった。隣のクラスの委員長だ。
 俺は、秋刀魚と眼鏡娘の間に立つ。「ふん。この秋刀魚人間は、明日の秘密兵器、ってとこか。でも、脱走されたみたいだな」
「うるさいわね! 明日は、私たちのクラスが勝つわ!」
「そ、そうなのだ! 明日は、我々が勝つのだ! ……もういいから、あっちいって!」秋刀魚が、怒ったような声を出した。
「さて、どうかな」俺はさっと身をひるがえし、秋刀魚の手をぐいっと引いた。「ついてこい!」
「え? ちょ、なによっ!? 放して!」秋刀魚は僅かに抵抗したが、すぐに俺に引きずられるように走り出す。
「こらーっ、小林ーっ! 待ちなさーいっ!」
 眼鏡女たちが、追ってくる。しかし、足は遅い。
 俺は秋刀魚の手を強く握りしめたまま、階段を駆け上り、廊下を疾走し、素早く角を曲がり、男子トイレに駆け込んだ。個室に逃げ込み、静かにドアを閉める。
「え? ここどこ? よく見えない」
「どこでもいいだろ」秋刀魚は、視界が悪いようだ。「嫌なんだろ、秋刀魚」
「嫌だけど、あなたには関係ないじゃん!」
「関係ある」俺は洋式便器の蓋を閉め、秋刀魚を座らせる。「俺が解放してやる。感謝しろよ」
 俺は秋刀魚の背中のチャックを、下げる。
「ぷはっ!」といって出てきたのは、体操着を着た幼なじみの女の子。さらりと、長い髪が揺れる。
 当たり前だが、秋刀魚は着ぐるみだったのだ。
「やっぱ片桐か。声でわかったぞ」
「う。……ありがと、小林」気まずそうな顔で、片桐はつぶやいた。
 彼女のシャンプーの香りが、鼻をつく。
 そういえば、狭い個室に、ふたりきり、だ。俺は急に恥ずかしくなった。片桐のことは、ずっと妹みたいに思ってたけど、最近やけに女っぽくなってきた。
「べ、別にお前を助けたわけじゃないからな。明日の文化祭は、俺たちのクラスが勝つ。そのために、お前の……、つか、なんなんだ? 秋刀魚?」
「あたしたちのクラスは、コスプレ喫茶をやるの。それで、この着ぐるみ」
「は? ……コスプレの意味、間違えてねーか?」
「うるさいな。あたしだって、嫌だっていったんだけど、委員長が……」
 上目遣いで俺を見る片桐。綺麗な肌だな、とか思ったら、ドキドキしてきた。
「あ、ああ。あいつは、ひとの意見とかきかねーからな。去年同じクラスだったから、よく知ってる。顔は可愛いけど、きっついんだよな」
 不意に表情を変え、口を尖らせた片桐は、俺の足をげしっと踏んづけた。
「ぐあ!? なにすんだ!」
「うるさーい! 助けてくれたのはありがたいけど、あなたは敵なんだから!」
「なんだそりゃ」
「いいの! 」周りを見て、片桐はやっと気づいたようだ。「え? ここって、もしかして……」
「ああ、男子トイレだ。ここなら、あいつらもこな」
「ばかーっ!」
 ばきっ! 片桐のナイスなストレートが、俺の顔面を捕らえる。鼻血が出てきた。
 顔を赤くした彼女は、秋刀魚の着ぐるみを引きずって、個室から逃げ出した。
「ったく、相変わらず乱暴な奴だぜ」俺はトイレットペーパーを鼻の穴に突っ込んで、男子トイレから出る。
 片桐が、廊下で待っていた。じとーっとした目で、俺を見る。
「あれ。まだいたのか」
「うん。一緒にかえろ?」
 つ、と俺の袖を引く。
「おっけ。じゃあ、着替えてこいよ」
「いいよ。委員長に見つかると面倒くさいから。このままかえろ」ひょいと、片桐は秋刀魚の着ぐるみを肩に担ぐ。
「男らしいなあ、お前は」
「もう。うるさいってば」
 不満そうな顔で、片桐は俺の頬をつねる。
「あーっ! いた! 小林ーっ! 私の秋刀魚女を帰しなさーいっ!」
 廊下の奥から、委員長の声が轟いた。
 俺たちは、全速力で逃げ出した。

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