(敬称略)
普段は読書のことは書かないんですけど、今日はちょいと読書遍歴などを。
もうとにかく読書嫌いでした。
たいていの少年がハマったであろう、ポプラ社の「少年探偵団シリーズ」すら、素通りの少年時代でした。「ズッコケ三人組」シリーズは、ちょっと好きだった気もします。
不思議なことに家に官能小説の文庫(緑色で薄いやつ)が大量にあり、それを読んで文学少年気取りになったことがあります。ですが、オカンに「まだそんなもん読んでるの」とか苦笑されたのをきっかけに、やめました。非常に残念です。エロスの力を借りて、読書に目覚めるきかっけになったはずなのに。
夏休みの読書感想文の宿題には、岩波書店の文庫「ドン・キホーテ」の後書きをほとんどそのまんま書き写すという愚行を犯したことがあります。何故か先生の反応はありませんでした。
そんなわけで、小説をたしなむという文化が、小生にはありませんでした。
唯一読むことができたのは、友人の薦めで知った、星新一のショートショートくらいでした。
中三のときにハマったテーブルトークRPGの影響で、ファンタジー小説を読み始めたのは、高校に入ってからでした。
マイケル・ムアコックにドハマりました。「エターナルチャンピオン」シリーズです。エルリック、コルム、エレコーゼ、ホークムーン。「ブラス城年代記」まで読破しました。
マイケル・ムアコックの次に好きだったのは、ロジャー・ゼラズニイでした。特に「ディルヴィシュ」シリーズ。これはには結構影響されてます。
フィリッツ・ライバーやJ・R・R・トールキンなど、翻訳物ばかり読んでましたけど、 深沢美潮の「フォーチューン・クエスト」と秋津透の「ルナ・ヴァルガー」だけは読んでました。あと田中芳樹の「アルスラーン戦記」。そういえば、火浦功にもハマってました。
全部まとめても、一ヶ月で読み切れるくらいの分量です。とても読書してる、とはいえません。
変化が訪れたのは、それから数年後。
高校の先輩で、とても知的で読書家なひとがいました。高校時代に影響されていればよかったのに、と後悔したのが、二二歳頃。
推理小説を、紹介していただいたのです。
あまりにも遅い出会いだったんですが、ここからが凄かったです。
新本格派から入りまして、綾辻行人、法月綸太郎、我孫子武丸、歌野晶午と一気に駆け抜け、折原一に感心し、島田荘司に惚れ、泡坂妻夫に身震いし、竹本健治、都築道夫、中井英夫ときて、行き着く先は江戸川乱歩でした。
普通と逆です。思いっ切り逆行してます。
もう、黒岩涙香まで逆行しましたからね。容赦ありませんでした。
神田の神保町に通ってました。平日の神保町の匂いが忘れられません。
横溝正史、大下宇陀児、木々高太郎、夢野久作、甲賀三郎、小酒井不木、坂口安吾、高木彬光、角田喜久雄、戸川昌子、久生十蘭なんかを買い漁り、読みまくりました。大下宇陀児のエッセイ集を喜んで買うひとなんて、小生くらいでしょう。江戸川乱歩の「孤島の鬼」は、今読んでも色あせません(先月読み直したばかりです)。
翻訳物も、怒濤のように読みました。ディクスン・カー、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティ、クロフツ、G・K・チェスタートン、ガストン・ルルー。ここにきて、やっとコナン・ドイルにモーリス・ルブランでした。
エドガー・アラン・ポーにハマった時期には、読むだけでは飽きたらず、「黒猫」の翻訳物を何冊か集めて、どの訳が一番素晴らしいか、とか文学者気取りで比較してたりしてました。高校中退のくせに。
そんな中で、小生の中で別格だったのが、島田荘司と筒井康隆です。
筒井康隆はもう、神でした。「俗物図鑑」を読んで感涙を流しましたと前述の先輩に力説したら、ひとこと「ばか」といわれました。それくらい、筒井康隆が大好きでした。影響されまくりです。血に流れてます。
島田荘司も、神です。このお方の小説は、究極かつ最強です。もちろん、通子萌えです。「涙流れるままに(上・下)」では、本当に涙が流れたというか号泣。壮絶なまでに小生号泣。「通子ぉぉぉぉぉおーーーッ!!」と叫んでしまうほどでした。「通子サーガ」に勝るものなどこの世に存在しません。
しかし、読書するという文化が小生の中になかったので、大変苦労しました。
読み始めるまで、時間がかかるのです。本に対する拒絶反応です。二十歳までにしっかりと読書文化を身につけていないと、こうなってしまうのかも知れません。読みたいのに、読みたくないというジレンマ。未だに続いています。
読み始めちゃうと、一気なんですが。島田荘司の「アトポス」も、仕事場で徹夜して一気読みでした。
というわけでまあ、ご多分に漏れず、小生も小説を書きたいなあ、なんて思っちゃったんですよ。
東芝のルポを、オカンに買ってもらいました。ワープロです、ワープロ。ディスプレイが10行くらいしかないやつ。当時はPCで小説書くなんて選択肢、ありませんでした。
東芝のルポを買い換えて画面も広くなったころ、高校の先輩ふたりと、同級生ふたりとともに、同人誌を作りました。コピー誌ですけど。
幻想文学かぶれでした。当時は、中井英夫とか稲垣足穂とか好きだったんで。今読むと、……モラトリアム期まっただ中というか。童貞文学というか(最近、恥ずかしいことも恥ずかしく感じないようになっています)。
「ザ・スニーカー」という角川書店のライトノベル誌(当時はライトノベルといういい方はなかったと思います)に、短編を送ったことがありました。佳作かなんかで、テレフォンカードをいただきました(掲載はなし)。調子に乗って2作目を送ったら、空振りで終わりました。でも、「ふん。オレ様の作品はもっと高尚なのさ」とか思ってました。救いようのないアホです。
もっとたくさん、いろんな作品を書いてみたいと思い、個人誌をせこせこと作り始めました。詩とかイラスト付きで。これもまあ、モラトリアム小説です。中には今でも気に入ってるものもありますけど。
無謀にも、日本ファンタジーノベル大賞に作品を送ろうとしていました。結局締め切りに間に合わなくてやめましたが。
今思えば、プロットもなにもなく、いきなり書き始めるというスタイルは、素人丸出しでした。
二五歳くらいの頃は、本気で小説家を目指してました。
谷崎潤一郎や佐藤春夫や大江健三郎を読み、ドストエフスキーやカフカを読み、内田康夫や吉村達也や長野まゆみも読み始め、読書の幅が広がってきました。当時は書店勤務でしたから、本には事欠きません。
ですが、ここでMacintoshと出合ってしまいます。漢字トーク7.5.1の時代です。
詳細は省きますが、ずっとフリーソフトゲームを作ってました。アホでナンセンスなゲームです。企画もグラフィックもプログラムも自分でやりました。しかも、マカーでした。使いもしない中古のMacを集めてました(IIsiとかCentris660/AVとか)。MacOS8の発売日には、秋葉原に並びに行くほどでした。
ゲームがあちこちで紹介され、仲間も増え、それなりに充実した日々でもありました。このままゲーム作る職に就くのもいいなー、なんて軽く考えちゃったりしてました。
ゲームを作ることに限界を感じた頃、ゲームにハマってしまいました。「ファイナルファンタジーVIII」です。
ここでまた転換期です。創作活動がなりを潜め、すっかりプレイヤーになってしまったのです。
「ファイナルファンタジーXI」で、ついに足を踏み外しました。オンラインゲームは、魔窟でした。
創作活動的には、長い暗黒期に入ってしまったのです。クリエイターとしては致命的な時期ですけど、友達が増えましたし、そんなに悪いもんでもなかったです。
読書は、あまりしないようになりました。島田荘司の新刊と、京極夏彦を読むくらいでした。コーエーの三國志にもハマっていたので、北方謙三の「三国志」は読破しました。
四年前、「ファイナルファンタジーXI」に飽き始めた頃、ライトノベルを書きました。
FF日記を書きまくってて文章にある程度の自信ができたのと、小生が本気で打ち込めるのはこれくらいしかないな、と思ったのが動機です。
けれど、ライトノベルという言葉すら知らなかったので、もうむちゃくちゃでした。登場人物の平均年齢が三〇歳。全裸のオッサンがアヒーとかする小説を書くなんて、どうかしてます(ヤングマガジンとかモーニングに載ってるマンガのようなノリ)。もちろん、二次落ちです。
ちゃんと調べないといけないなーと思い、そこからやっとライトノベルを読み始めました。よく考えたら、「スレイヤーズ」すら読んでません。十年以上前の「フォーチューン・クエスト」と「ルナ・ヴァルガー」で止まってます。ハルヒってなに? 西尾維新って誰? という無惨な状態でした。勉強不足もいい加減にしろっ、て具合です。死にたいほど無知でした。
流行を知るのに、かなりの苦労を要しました。
そして、投稿。
で、現在に至ります。
今は、舞城王太郎と伊坂幸太郎を読んでます。
マンガ、ゲーム、小説、映画。どれもこれも、面白いです。やめられません。これからも、未知なる物語との出会いを求めて、飛び込んで行きたいです。
ここで、心の師を記しておきたいと思います。
それは、安永航一郎大先生です。
かぽーん!
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2007年6月8日 金曜日
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