もちろん、オールフィクションであり、脳内妄想であり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありませんし、精神に異常をきたしてもいません。
Chapter 5:死屍累々
夜叉がいた。
角の生えた白面。目がつり上がり、口が耳まで裂けている。
黒い長髪を振り乱し、恐れおののき逃げ惑う人間を容赦なく屠る。
暴悪の鬼神。狂乱の破壊者。空が赤く染まり、大地が揺れ、空気が震える。
その正体は、セーラー服の女子高生だった。血の繋がった姉だった。彼女には、もはや暴れ狂う理由も理性もなかった。姉の目には、もはや敵と弟の区別はつかない。
その細く綺麗な指が、血にまみれた指が、絶望的な恐怖とともに迫ってくる。
道房は、飛び起きた。
全身に汗が噴き出していた。
眩しい。息苦しい。うるさい。どこだここは。
口元に違和感を感じる。プラスチック製の透明なマスクがついていた。なんだこれ。マスクから延びるチューブは、横に置かれたボンベつきの装置に繋がっている。
病院? 目をこすって辺りを見回した。
「……うおわ」
ここは病院なんかじゃない。スーパー武蔵小金井ドームの中だ。透明な壁の向こうで、6万人の観客がざわついている。
うるさいのは、観客のざわめきだけじゃなかった。決闘場の周りに空気清浄機がずらりと並び、最大限の力でにおいを浄化していた。ランプは真っ赤だ。あと、消臭力がいっぱい置かれてる。
「頑張ってたんだね、山田さん。……空気清浄機のない密室の中で最後まで戦い抜いたなんて、やっぱり凄いわ」
くぐもった声の主を見上げると、地味な服を着た地味な顔立ちの女が、カードを持って立っていた。湯布院有樹だ。彼女も酸素ボンベを着けている。
「あたしも頑張るから!」
そういって、有樹は小走りで去ってゆく。
自分の顔とか身体とか股間に生えた竜とかべたべた触りながら、道房はだんだん思い出してきた。
この全身タイツ、この変態ファッション。そうだ。オレはドラゴン・山田なのだ。のっぴきならぬ理由で、主にさっき悪夢に見たシーンを姪に再現させないために、ドラゴン・山田となって戦っていたのだ。
ゆっくりと立ち上がり、ガラス製デュエルテーブルの向こうを睨む。
スメル・木村。
不満そうな顔で、鼻糞をほじっている。
コノヤロウ。おっかない夢を見させやがって。ちょっとちびったじゃねーか。股間に竜の首つけてなかったら、モロバレになるとこだったぞ。股間の染みを6万人に晒しながら戦うとこだったぞ。
酸素マスクを取ってみる。……うん。まだくさい。だが、ずいぶんマシだ。オレの足のにおいの方がくさい。
隣のテーブルを見ると、ソルジャー・村田とニーハオ・佐藤が戦っていた。その向こうのテーブルでは、湯布院有樹とクイーン・渡辺が戦っている。全員、酸素マスク着用だ。
「……あっちが終わるまで、待つんだってさ。……暇だよね」
自分の脇のにおいをかぎながら、スメル・木村がいった。
なんて下品なやつだ。
……いや、違うな。
道房は、41年間の人生で蓄積した知識と経験則で、スメル・木村を看破した。
こいつは、自分のにおいをかぐと安心するのだ。自分のにおいをまき散らしたテリトリーの中で、自宅にいるようなリラックス感を得ている。あのにおいは、安らぎフィールドなのだ。
なんてかわいそうなやつなんだ。
家の外にいながら家の中にいる。外出しつつも引きこもっている。結局、自分の殻を閉じて外世界へ一歩たりとも踏み出せていないのだ。多様化するモラトリアムのねじれた症例のひとつ。スメル・木村は、においという壁を挟んでしかひとと接することのできない、孤独で不憫な男なのだ。道房は勝手にそう認定した。
不潔でさえなければ、においさえなければ、おならの壁さえ作らなければ、可愛げのある礼儀正しい青年なのに。
いいだろう。真っ正面から受けとめてやろうじゃないか。
その殻、ぶち破ってやる。
彼を救い出すことが、勝利に繋がる。
道房は、酸素マスクを剥ぎ取った。
「……あれ? ……山田さん、マスクつけないの?」
「ああ、いらない。嘘偽りない裸のオレで、お前を受け切ってやるぜ!」
これからは、ドラゴン・山田ではなく、禿野道房として戦うのだ。
スメル・木村の表情が曇る。
「……その声。……や、山田さん? なの?」
道房はあえて頷きもせず否定もしない。
「2戦目が始まるまで、せいぜい安らぎのにおいを吸い込んでおけ。戦いが始まったら、そんな余裕など与えんぞ!」
「……ふうん。そう。……わかった」
道房とスメル・木村の間で、火花が飛び散る。メタンが引火しそうなほどの睨み合いだ。
こいつは勝たせてはいけない。勝ち抜かれれば、空気清浄機や消臭力で維持費がかかる。社会人たる者、コスト意識は大切だ。
GN粒子(自分のにおい粒子)で固めたGTフィールド(自宅フィールド)から引きずり出し、風呂に叩き込んでやる! GじゃなくてJだけどGで通し切る! 死ぬ気で戦ってやる! なにしろこっちはリアルに命がかかってるんだ! 命と書いてタマと読むのだ! 潰されてなるものか! この歳で新宿二丁目デビューはキビシイぜ!
(さらに…)